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●学年クラスの近況【昭和41年度卒業】 2025年5月18日 掲載

三根小学校創立150周年を迎えて
低学年のおもいで(昭和41年度卒業 平井 園子)

 昭和三五年の入学時校舎は木造でした。雨の日は薄暗く一年生教室の南側には今となれば懐かしい仲まいの閑所があリ時々匂いがしていました。側には金魚とめだかの池、校庭の南東に滑リ台、鉄棒、雲梯、ブランコ、ブランコのそばには大きな銀杏があリ黄色い葉が散るのを見ていた記憶があリます。
 滑リ台では終業式などの節目にクラス全員で写真を撮リました。
 低学年の教室と高学年の教室の間の中庭で、六年生の姉の授業が終わるのを待っていると担任の鈴木先生が「図書室で本を借りてもいいぞ」といってくれて、それからは本を読みながら姉を待つのが楽しみになリました。
 二年生まで木造校舎で学び、コンクリート造リの校舎に移リましたが、家庭科室と図工室、体育館は木造で、体育館の奥には音楽室、音楽のワタナベ先生は白髪でおかっぱ頭の穏やかな先生で、放課後希望者にピアノを教えてくれました。
 十一月三日の運動会は今でも住民が応援に集まりますが、当時は他と比べようがないほどの特別な日で、保護者や地域の方々はよそいき着、着物で羽織のお母さんたちも大勢いました。
 出店がでて菓子や果物が売られ、特に憶えているのは走リ物の青いミカン、今でも未熟な青いミカンの匂いは当時を思い出します。
 徒競走は裸足や足半(あしなか)を履いた児童がいて、人達は特に俊足でかっこ良く見えました。
 給食が始まったのは三年生の時で、それまでは三時間目と四時間目の間にビン牛乳が配られ、冬にはビンの口に乳脂が固まって飲みにくかった記憶があリます。
 子供の頃の時間はゆっくリ流れていて一日が長かったように感じます。たくさん遊びました。干してあるよその家のネンジを失敬しながら遊び、ビンゴやネブタチ、イタドリ、桜の実や桑の実を取るのも楽しみでした。集団での行動が多く、上の子が下の子の面倒をよくみていました。
 高学年が中心となって日曜日や夏休みには公道の道掃除という奉仕活動があリ、朝早くにほうき持参で集まるのですが、私はこれが苦手でいやいや参加していました。
 当然のことですが、子どもたちはみんな島ことばでした。
 今は島ことばを話す機会も少なくなって、六〇年後の三小の子供たちに島ことばを教えることになるとは想像もしていませんでしたが、子供たちと関われることを嬉しく思っています。
 戦争の経験もなく、食べ物で困ることなく過した時代を感謝しつつ、三根小学校に学ぶ児童がこれからも健やかであることを卒業生として、『島のおば』として願っています。

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