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●学年クラスの近況【昭和40年度卒業】 2022年12月17日 掲載

旅たちの片道切符(昭和40年度卒業 菊池 泰彦)
 春になり、今年も旅たちの季節がやって来ました。
 島の子供たちの大多数は、就職、進学で親元を離れる宿命を持っています。
 春は旅たちの時、そして別れの時。
 親は子供たちの成長を喜ぶ半面、言葉では言い表せないほどの淋しさを感じます。
 まんでも鮮明に覚えている光景があります。
 私が中学三年の時、集団就職でくにへ旅立つ同級生を見送るため、港へ行きました。
 そこには、着慣れた学生服やセーラー服に、ボストンバックをひとつさげ、しょくなっけ土地に向かう不安と、ちーとばかりの希望の入り交じった顔の同級生がいました。
 港には見送りのために正装した親や親戚、同級生でごった返ししていました。
 はしけに乗った同級生は、色とりどりの紙テープをしっかり握っていて、それはまんまでの思い出を一本の線でつなぎ、この思い出をお互いに決してひっかすりんのうごんしようという誓いであるかのように思えました。
 中学を卒業とともに十五歳の同級生が本土の大きな荒波の中に旅だっていくのです。
「アバヨーイ~ アバヨーイ~ アバヨーイ~ ガンバレヨ~ ガンバレヨ~」の応援の声に包まれて、はしけで出ていこうだら~。
 隣にいた同級生の母ちゃんは、はしけの子供に向け「○○がんばろだ~よ がんばらだ~よ 思うはよ~」と涙を浮かべて大きな声で叫び、船が見えんのうごんなるまで名残惜しそうに手を振っていました。
 父ちゃんは寂しそうな顔をし、後ろのほうで煙草をくゆらせていました。それは離島という運命によって我が子との間を切り裂かれるような、帰りの日が決まっていない、片道切符の旅でした。
 旅たちの人の目にも、見送る人の目にも涙が浮かんでいました。
 港の別れは寂しく悲しいものだらよ~。
 長い船旅の途中、母ちゃんの作ってくれたうんまけにぎりめしを、すべてを包んでくれる母ちゃんを思い出しながらかんだそうです。
 故郷も母親に似てすべてを包み許してくれる場所だと思います。
 島を離れてからもまた寂しい別れがありました。引率してくれた先生との惜別です。
 仕事場を覗いた後、ガンバレヨという言葉を残し歩き出す先生、何度も何度も振り向くといつまでも手を振る子供の姿がありました。
 先生が角を曲がると、いよいよ旅立ちの始まりだったのです。
 時代は変わり、まんの旅立ちは、空港が主になります。
 同級生を見送る風景は変わりのうが、子供が待合室に入るまで、にぎやかで明るい会話がつづき悲壮感はまったくなっけだら~。
 島は、海を渡らなければならないので、簡単に戻れないのは昔と変わりんのうが、またすぐ会える(メール、LINE、Facebook などで島と外がつながりやすくなっている?)往復切符の旅立ちなのです。
 わいらが時代のように成人式にはまた会おごんよ~という別れの旅立ちではなくメール、LINE、Facebook に連絡けろよ~、お互いがんばろごんていうつながりで、笑顔の旅立ちなのです。
 そんな変わっていった島の姿を見てうれしく思う一方で、同級生との会話では「貧しさよりくにへの憧れで就職し、着いてから働く所の主人と初めて会っとうだら~」「そごんだらば~見合い結婚よりひどけじゃ~、まんはパソコンのボタン一つで百社を超える企業の募集要項を一括請求できる時代どうに~」「わいらが時はしょうがなかろーだら~」などどこか昔を懐かしむことが多くなったように思います。
 三根会に出席の方はいつの間にか、故郷を離れて四十年以上たっている人も多いと思います。一年一年遠ざかる故郷を思い出す時、逆に一年一年近くなって来ている故郷です。
 故郷のある人生は幸せです。
 親がまるんでも同級生に会いに帰省してください。
 旅立ってそれぞれの場所で頑張った同級生と「うごんだらら~、こがんだらら~」と中学時代のたわいない話をしながら飲むのは至福の時です。
 めんなの笑顔と笑い声があればあんにもいりんなっきゃ~。
 同級生はみんなの宝物、同級生は死ぬまで同級生、死んでも同級生、勝手にやめることはできない。
 同級生に乾杯、八丈島に乾杯、三根会に乾杯。

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