その他の情報 HOME

●学年クラスの近況【昭和31年度卒業】 2022年12月13日 掲載

昔 むかーしの話 思い出(昭和31年度卒業 中田 美津子)
 振り返ってみるとずい分年月が経ってしまいました。
 一番心に残っている事というと我家の前の道路が(昔のブッサン辺り)舗装された時の頃、すごーくうれしかった。
 今のNTTの下の辺りにおばァちゃんの家が有り、そのおばァちゃんが月に一回、いや週に一回くらいカレーを作ってくれ(その頃あまりカレーにはなじみがなかった)よんでくれた。カレーはもちろんうれしかったけど舗装された道路を裸足になりなぜか皿を右手くつ(ゲタ?)をもって歩いて行った事、舗装された道路は暖かかった…とか。
 遊ぶ道具は何もない時代で、自然の中に飛び出していき、二、三人の男の子相手と(私は女です)田んぼに行った川に行った山に行ったり
 夕方になると近所の上級生下級生が大勢集まり道路で(車は通ってません)はしりっくらをしたりかくれんぼうより缶けり等々して暗くなるまで、叱られた。
 我が家のちょうど真前の山に観音様があり、いつもの遊び場でした。そこに今もあるかナ
 桜の古木が有りその木から枝づたいに下の田んぼ迄地につかないで下りてくる遊びやら…アー なつかしい‥‥。
まさに男まさりの子供時代 高校を卒業して東京へ。大田区の蒲田のアパートで一人暮らし。最初は電車に乗る事もわからず、帰りもまっすぐ帰り、時間が余りすぎ、暇つぶしといっては申し訳ないのですけど日踊のけいこをはじめ、何年かすぎた頃島に居る歳とった両親が二人きりになり、車を買ってもらえる約束で八丈へ帰って来る事に。
 せめて踊りでと思い名前をとり(お金はかかりました)泉流の名取の看板をもって帰ってきました。下手くそなりにお弟子さんの振りを直していくうち自分の勉強に成り、まァーまァーずーと休まず十八歳から五十七年間踊ってます。
 古典舞踊は深みがあり楽しいし身体の為にもなるし、ボケ防止にもなるし最高です。
 毎日踊って遊んで畑をして、クラス会はすぐ集まって呑んでます。
 楽しい人生を送っている今日此頃です。

戻る