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●学年クラスの近況【昭和30年度卒業】 2025年5月18日 掲載

思い出いろいろ(昭和30年度卒業 浅沼正三)
 三根小学校を卒業して、はや七〇年? もう七〇年ですね。いろいろと思い出しております。その、一端を忘れないように話したいと思います。

<担任の先生選任は何か基準があったのかな?>
 私の学年は、ほぼ九〇人ぐらいで二クラス。私のクラス名は「一組」といい六年間同じメンバーのクラスでした。担任の先生は、六年間女性の先生でした。
一年〜二年が、菅原房先生
三年〜四年が、セイ子先生
五年〜六年が、ふみか先生
 ところが、もう一つのクラス「二組」は六年間男子の先生で、喜田先生、高橋先生、虻川先生とすべて男子でした。
また、男子の先生は姓で呼び、女性の先生は名で呼んでいました。(菅原先生は、八丈島の出身で無いからかな?)後に、このことを「不思議」に思っていました。

<この学年は、特徴のある子が多く、特に「一組」は、女性の優しい先生でないとまらない? で決められたのでは・・・>
 実際、わがクラス「一組」は、いろいろと問題を起こしました。
 小さいことでは、体育に授業の合間に男子数人で「校庭の隅」で立小便をし、怒られて立たされたこともあります。
 大きいことでは、教室の床下に入り「ボヤ(小火)」を起こし大変な事態になりました。
 その他いろいろと、あったと思いますが省略。

<その後の話>
①富士中学校一年に入学すると前代未聞。
 「男子全員」一クラス、「女子全員」一クラスになっていたのには全員? ビックリ、しかも、男子は、男性教諭の山田平右衛門先生でした。
 小学校時代の「事績」「功績?」が反映されたクラス分けだったと思います。中学二年からは男女を入れたクラス制になり、皆ほっとした? と思います。

②六〇歳の還暦祝いを八丈島で行い、ふみか先生が参加しました。

③ 菅原房先生とは、定年後住まいのあった町田市に一〇数名集い、懇親を深めました。

④ 虻川先生は、何回か三根会に参加頂いています。

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