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●学年クラスの近況【昭和25年度卒業】 2024年5月29日 掲載

年々変わり行く世の中(昭和25年度卒業 持丸 サエ子)
 近年は都会でも田舎でも町の様子が大きく変わるところが多く暫くぶりに訪ねようものなら目的地に迷わずにゆくことが出来なくなった。品川駅渋谷駅しかり東京駅八重洲口側丸の内共に見覚えのない高層ビルが立ち並びよそよそしく、駅舎に入ろうものならよくできた迷路、時間に余裕が無かろうものなら焦ります。八丈島も富士山の裾野辺りは車で一・二度訪ねた位ではどこにどうつながる道が在るのかここは緑の中でさっぱり分からず一人では歩けそうにない、その点昔のまま変わらない通りは歩いても車で通っても懐かしい、地名(部落名)も昔のままなのでしょうか? 一心とか孫兵衛・宮の平・与惣次とか。私は神港西、垂土に育ちました、海辺でもなく山の中で今も余り変わりなし。
 嘗ては夏になれば待ってましたとばかりに海へ海へと底土・神港・垂土へと誰もが歩いて行ったものだけど今は車頼りの島の暮らし車で何処へ行くのでしょう? 垂土海岸へ途中開けた畑地へ出る手前に小暗い処が在り誰に言われた訳でもなく子供達は榊の葉などを、葉の持ち合わせのない子はその辺の木の葉を手折って供え殊勝顔で何かを拝んで通っていたように覚えている。つい最近勇気を出して藪をかきわけてみたが何もなく雑木の根が溶岩を抱き込んで薄暗いだけ、子供心にはとても怖くて覗き見るなんて考えられなかったが今となっては石仏らしきものでも祀ってあげていたら御利益大だったかもと。でもあの頃海での事故などあった事は聞かなかったので信じて願う心だけは通じ効験は充分にあったのでしょう。
 垂土の浜の様子も大きく変わり子供達で賑わった「大がめ・小がめ」は外海の濤にのまれ今はあのあたり…、としか。分からない。
2024年3月記 

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